仏事あれこれ( A ) 005

005 お葬式の誤解(白木の位牌について)

浄土真宗の場合、法名を位牌の形にはしないことになっています。
お仏壇にお参りしますと、法名が位牌の形になっているものをよく見かけますが、「本来の姿、形ではない」と言うことをご理解ください。
なぜならば、位牌とは「死者の霊を祀る」ためのものだからです。
まず、私たち浄土真宗の門徒は、死者の霊を祀りません。それは、「死者が霊として残る」と言う考え方をしないからです。
また、位牌とは「位(くらい)の牌(ふだ)」と言う意味を持ち、平等を説く仏教に、「位(くらい)」などの差別があってはならないからです。ただ、葬儀で白木の位牌に故人の法名を書き、荘厳壇(葬儀壇、祭壇)に設置していますが、あれは、葬祭業者が白木の位牌しか用意していないためで、あくまでも「便宜上のもの」なのです。
白木の位牌は、「位牌」とは呼ばないで、単に法名を書いた札(ふだ)として、「法名札(ほうみょうふだ)」とでも呼べばいいのです。
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仏事あれこれ( A ) 006

006 お葬式の誤解(出棺時に茶碗を割るの?)

浄土真宗では、出棺の時に茶碗を割る必要がありません。
枕飾りにおいて、他宗派を信仰する親戚などと一番トラブルになるのが、この「一膳飯」です。
「一膳飯」とは、故人が生前に愛用していたお茶碗に、ご飯を山盛りにし、箸を突き立てたお供えです。
そして、この「一膳飯」は、出棺の時に「故人が生前に愛用していたお茶碗を地面に投げつけて叩き割る」と言う行為につながります。
なぜこのようなことをするのかと言うと、「故人の霊魂は、そのへんの空中をフワフワしていて、時には元の住まいに帰り、故人が生前に愛用していたものにとりつく」と恐れられていました。
そこで、故人が生前に使用していたお茶碗を受け皿にし、箸を目印にして、とりついた霊魂を出棺にあたって追放し、家へ迷って帰ろうにも帰れないように、「もう帰ってくるな」と、故人の茶碗を割ってしまうのです。
これは、元々仏教とは関係のない「日本古来の霊魂観」に基づくものです。
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仏事あれこれ( A ) 007

007 お葬式の誤解(清め塩は必要?)

日本では、古来より「死は穢れたもの」として、「死穢」をことのほか忌み嫌いました。
そもそも、塩とは「調味料」であり、人体を維持していく上で「欠かせぬ食品」であると同時に、食物の保存に重要な役割を担ってきました。
冷凍食品が普及する少し前まで、保存食といえば、塩漬けか、干物に限られていました。
つまり、清め塩には、死体の腐敗を防ぎ、死臭などを防ぐ効果が、「おまじない」として残っているのです。
塩を撒くと言う習慣は、そうした中から出てきたようです。
私たちは、誰しも死に対する「怖れ」や「悲しみ」を抱えております。そうした「怖れや悲しみから逃れたい」と言う心が、「お清め」と言う行為につながるのでしょう。
「お清め」と言う行為は迷信であり、「一切不要なもの」なのです。
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仏事あれこれ( A ) 008

008 お葬式の誤解(友引の日に葬儀をしてもいいの?)

友引とは、実体のない言葉だけの迷信です。
葬儀の日取りを決めるのに「友引」を避けるなど、今もなお、日の良し悪しを問題にする根強い風習がありますが、仏教とは全く関係のないことです。
「友引の葬儀は友を引く」などと、まことしやかに言いふらされていますが、「死を恐れる人の心の弱みにつけこんだ語呂合わせ」と言うことをご理解ください。
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